創刊から9年目に突入する、玄文社発行の人気プロレス本!
その名も「KAMINOGE」。
2011年に休刊となった「紙のプロレス(kamipro)」(通称:紙プロ)の後継誌として創刊された本誌。「世の中とプロレスするひろば」というモットーを掲げ、プロレス誌でありながら「特にプロレスを語らないプロレス本」として既成概念を打ち破った月刊誌です。書店店員にも多くの熱烈ファンを抱える本誌は、昭和プロレスに熱を上げたプロレスファンを中心に愛読されています。
そんな「KAMINOGE」の裏側を、前回の編集長インタビューに引き続きお届けいたします!
今回お話を伺ったのは、KAMINOGEの企画・ライティングを担う堀江ガンツさん。紙プロ編集部出身のフリーライターで、プロレス・格闘技ファンの間ではお馴染みのライターさんです。
「KAMINOGEでは井上崇宏さんが変化球を投げて、僕はプロレスファンにとってのド直球のストレートで勝負してますね」
そう語る通り、堀江ガンツさんは本誌においてプロレスファン納得の企画を担当。これまで、手がけてきた書籍は多岐にわたり、『紙のプロレスRADICAL』編集部を経て、2010年よりフリーライターに。『KAMINOGE』(玄文社)を中心に、『Number』(文藝春秋)、『昭和40年男』(クレタ)、『BUBKA』(白夜書房)ほか、各種プロレス・格闘技のムックや単行本など、数多くの媒体で執筆。WEBでは『Nuber Web』で隔週コラムを連載中。主な編著書は玉袋筋太郎、椎名基樹との共著『プロレス取調室』シリーズ(毎日新聞出版)。その他、WOWOW『究極格闘技-UFC-』、BSスカパー!『PRIDEヘリテージ』など、格闘技のテレビ解説も務める。今年、プロレス・格闘技取材歴20年を迎えた。
堀江さんのプロレスと歩んできた人生や出版業界に飛び込んだ経緯、KAMINOGEでこの先やっていきたいことと最新刊であるvol.108の見所までたっぷりお伝えします。
きっかけはたまたま観た全日本プロレス。のめり込んだ先にあったのが紙プロだった
インタビュアー(以下:イ):そもそも、堀江さんがプロレスを好きになったきっかけとはなんだったのでしょうか?
堀江さん:僕がプロレスを観始めたのは小学1年生の頃だったと思うんですけど、当時、土曜日の夕方6時から『電子戦隊デンジマン』とか戦隊モノの番組が放送されていて、それを観るために30分前には外遊びから帰ってきてテレビの前を陣取っていたんです。
そうしたら、当時『全日本プロレス中継』が土曜日の夕方5時30分から放送されていて、戦隊モノの番組が始まるまでの間、たまたま観たのがきっかけですね。で、プロレス中継は6時半までの1時間番組だから、途中で戦隊モノにチャンネルを変えていたんですけど、いつしか6時になってもチャンネルを変えずにプロレスを最後まで観続けるくらいハマるのにそう時間はかからなかったです。
イ:プロレスに一気に引き込まれたんですね!何が堀江さんの心を奪ったのでしょうか。
堀江さん:当時のプロレスは外国人レスラーが多かったんですが、個性豊かな怪物性のあるレスラーが大暴れしていたので、スポーツ観戦というより、「怪獣映画」や「特撮番組」を観ている感覚に近かったと思います。外国人レスラーがウルトラマンに出てくる怪獣と同じような存在に映っていたんです。
外国人レスラーっていうのは、毎シリーズ違う選手が来日していたので、それこそウルトラマンで毎週、違う怪獣や宇宙人が登場するのと同じだったんですよ。そしてウルトラマンを観ている子供が、じつはウルトラマン以上に怪獣が大好きなのと同じように、僕も個性的で魅力的な外国人レスラーが大好きだった。僕がプロレスにハマった理由はそこでしたね。
そして、しばらくすると土曜の夕方5時半からの『全日本プロレス中継』だけでなく、金曜日の夜8時から新日本プロレスも放送されることを知って両方とも観るようになり、ますますハマっていった。すると、もっとプロレスのことを知りたくて、子供向けのプロレス本やプロレス雑誌を買うようになり、活字で読むプロレスの楽しさを知ってしまったんですね。それが高じて、大人になったら『紙のプロレス』(紙プロ)という雑誌の編集部に入ってしまったという(笑)。
「出版社の世界を知りたい!」読者から紙プロの編集部に飛び込んだ
イ:紙プロの編集部メンバーになるまでにどのような経緯があったのでしょうか?
堀江さん:もともと紙プロのコアな読者だったんですよ。毎号、早売りしている本屋で、誰よりも早く手に入れて読むくらいの(笑)。当時、紙プロが池袋で月に1~2回のペースで「青空プロレス道場」っていうトークイベントを開催していて、それにも欠かさず通っていたんです。
「青空プロレス道場」はイベント後に読者も参加できる打ち上げがあって、そこで編集長の山口日昇さんや、ライターとして参加していた吉田豪さんを始め、編集部の人たちとも親しくなったんですよ。なので、入社前から紙プロ編集部の皆さんとは顔見知りの関係でした。
当時、僕はべつの仕事をしていたんですが、24歳の時に辞めて、出版の仕事がしたいという思いから水道橋にある日本エディタースクールに通い始めたんですよ。ちょうどそんな時、いつものように早売りで買った紙プロを読んでたら、読者ページに「ボランティアスタッフ募集」っていう小さな囲み記事があったんですよ。「編集者募集」とかじゃなく「ボランティアスタッフ募集」(笑)。
イ:ボランティア、ですか?
堀江さん:そうです。その時読者ページの編集を担当していた坂井ノブさんがあまりにも忙しくて、現有スタッフだけでは手が回らない状況をなんとか改善しようとしたらしいんですけど、一社員の立場では新人スタッフを採用する権限がない。そこで彼がたどり着いた結論が「金銭が発生しないボランティアであればいいだろう!」。自身が担当する紙面の枠で勝手にボランティアスタッフの募集を敢行したんです(笑)。
そうとは知らず、僕は募集を見てすぐに応募用の作文と履歴書を書いて、速達で送ったんです。もともと出版の仕事がしたくて、どこかの編集部でアルバイト経験を積みたいなと思っていたので。「ボランティア」っていうのが少し気にかかりましたけど(笑)、大好きな紙プロで、出版の仕事を経験できる絶好の機会だと考えたんですね。
その募集が掲載されていた号も先売りで入手していたので間違いなく最速の応募者だろうし、採用は間違い間違いないだろう、と(笑)。
イ:そこから面接を経て採用されたのですか?
堀江さん:いや、面接なんて大層なものじゃなかったですね。坂井さんもすでに顔見知りだったので、応募後に直接連絡をもらって。編集部に行ってみたら、ちょうど入稿直後だったらしく坂井さん一人だけいて。面接のような形式張ったやりとりをするでもなく「じゃあ、よろしくね」の一言で全てが始まりました。こんな調子だったので、数日後に社内で雑用やってる僕に気づいた編集長の山口さんからは「あれ、お前なんでここにいるの?」って言われるくらい(笑)。これが1999年の話ですね。
イ:ボランティアスタッフとして働いていた期間はどれくらいでしたか?
堀江さん:働き始めてから1ヶ月経ったあたりから、ほぼフルタイムで働くようになったんですよ。そのタイミングで「さすがにこれだけ働いてもらって無給はまずい」という話になり、多少のお給料をいただくようになりました(笑)。もう、そこからは仕事の合間にエディタースクールの授業に通うような状態で、在学中から多くのページを担当させてもらってましたね。
エディタースクールは1年制だったので、仕事を初めてから半年後の卒業のタイミングで編集長から「お前、これからどうする?」と尋ねられ、「いやいや、どうするも何も、このまま紙プロで働かせてください」と答えて、2000年4月に正式に入社することになったんです。
イ:そこから本格的に紙プロ編集部のスタッフになられたわけですね。当時はどのようなお仕事をなさっていましたか?
堀江さん:2000年代は総合格闘技ブームだったんですよ。僕はプロレスだけでなく格闘技も好きで、ファンとしての知識は編集部の中で一番あったので、PRIDEを中心にトップ選手のインタビューなんかをたくさんやらせてもらいましたね。
また当時のPRIDEは、エメリヤーエンコ・ヒョードル 、ミルコ・クロコップ、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとか、外国人選手が大人気だったんですよ。それで僕は海外旅行も好きなので、海外取材の企画をいろいろ出して、アメリカを始め、ロシア、クロアチア、ブラジルなど、いろんな国に行って。現地に赴いたからこそ伺えた貴重なインタビューなんかを紙プロ独占取材記事として発表しました。これが読者からかなり好評でしたね。
プロレス本から「プロレスを語らないプロレス本」の世界へ
イ:一見、紙プロでの仕事は順調そうに見えますがKAMINOGEに移籍したきっかけって何があったのでしょうか?
堀江さん:当時、総合格闘技イベントのPRIDEを主催していたDSEという会社がハッスルというプロレス団体を始めたんですよ。そこに紙プロの編集長がブレーンとして関わっていたんですけど、ハッスルがDSEから独立したとき、代表取締役社長になってしまったんですよ。
ハッスルは髙田延彦扮する髙田総統や、レイザーラモンHG&RG、インリン様、和泉元彌ら芸能人らが参加して、一時はすごい人気だったんですけど、そのあとに諸々の事情で窮地に陥ってしまったんですね。
その頃、紙プロはまだ好調を維持していたんですけど、その収益がハッスルの運営を維持するための費用として流れいっていたのか、会社自体が倒産状態になってしまったんですね。この事件をきっかけに僕はやむを得ずフリーライターとして活動することになったんです(苦笑)。これが2010年のことです。
会社は潰れてしまったんですけど、編集部員は「紙プロを作り続けたい」という思いがあって、受け皿となってくれる会社を探していたんですよ。そうしたら元々紙プロのデザインを手がけてくれていたデザイン事務所さんが手を挙げてくれて、そのデザイン事務所内に編集部を作るかたちで、発刊を継続することになったんです。しかし、関係者の努力も虚しく2011年に紙プロは「休刊」という形で事実上の廃刊が決まってしまいました。
僕自身、フリーランスになったものの依然として紙プロに携わり続けており、雑誌と携帯サイトのそれぞれに原稿を執筆していました。その紙プロの仕事がなくなってしまうとどうしても収入が減ってしまいます。「これからどうしようかな」と悩んでいたタイミングでKAMINOGEが創刊されたのです。
イ:そこからどういう経緯でAKMINOGEに参加されたのでしょうか?
堀江さん:KAMINOGEの第一号が発売された直後に編集長の井上さん……僕は昔のペンネーム「井上きびだんご」から「きびさん」と呼んでるんですけど。そのきびさんから食事に誘われたんです。そこで「KAMINOGEでもライターをやってほしい。俺ら二人で、プロレス・格闘技界の仕事、全部やっちゃおうよ」って、口説かれて。きびさんとなら、本当にできちゃいそうだなって気がしたんで、「いいですね! やっちゃいましょう!」って感じで意気投合して、僕は旧紙プロ編集部から離れてKAMINOGEにがっつり関わるようになったんです。
イ:井上さんとはお知り合いだったのでしょうか?
堀江さん:知り合いでした。僕が紙プロにいた当時、K-1などを扱う「SRS-DX」という雑誌があったのですが、井上さんはその雑誌を作る会社に所属していたんですよ。互いの会社の社長同士が、昔は一緒に紙プロを作っていた背景があったので、紙プロとSRS-DXの編集部員は腹違いの兄弟みたいな関係だったんです。なので、別の会社でありつつも井上さんは、僕らにとって「きび兄さん」って感じでしたね。
イ:その当時から井上さんはバリバリの編集者だったのでしょうか?
堀江さん:いえ、もともと井上さんはグッズを作る部署で働いていらっしゃってたんですよ。それでSRS-DXが休刊になったあと、自分で会社を立ち上げて独立されて。その時、グッズの制作販売だけじゃなく、「スカパー! バトルLIFE!!」っていうプロレス・格闘技の携帯サイトもやられてたんですよ。その携帯サイトは見出しの文言や企画がすごくセンスが良くて、「きびさん、活字方面もいけるんじゃん」って思ってた記憶があったんですけど、まさかKAMINOGEを立ち上げて、自ら編集長になるとは思ってもみなかったです(笑)。
イ:となると、紙プロ時代とは異なる雑誌作りにおける独特なルールなどもありますか?
堀江さん:紙プロ時代は編集者でしたけど、KAMINOGEではライティングだけで編集はノータッチなので、そこがまったく違いますね。僕はKAMINOGEに創刊2号目から関わってるのに、編集会議に出たことないですから(笑)。今はコラム以外は、きびさんと僕の二人だけでライティングをしていて、担当する比重は1冊に対してきびさんが6割強、僕が4割弱って感じですかね。
イ:それぞれのターゲットとなる層もいらっしゃるのですか?
堀江さん:いますよ。僕が担当する企画は、コアなプロレスファンがターゲットのものが多いです。KAMINOGE読者は40代くらいが一番多いんじゃないかと思うんですけど、僕自身がターゲット層に当てはまるので、読者の気持ちがわかるというか、「僕自身が面白いと思うものは、読者も面白いはず」という感じで書いてますね(笑)。なので、プロレス雑誌らしい、生粋のプロレスファンが読んで面白いと感じるス記事は僕が担当していることになります。
一方で、井上さんはプロレスラーにかぎらない企画が多いですね。最近だと、毎号のように西村知美さんのインタビューが載ってたりとか(笑)。野球でいうところの変化球で、KAMINOGEのプロレスを語らないプロレス雑誌たるカギを握っていますね。プロレスに詳しくない人でも楽しみやすい記事が多いのではないでしょうか。長州力なんかも、きびさんのインタビューによって、まったく違う魅力が発見されて、いま世間的にもブレイクしてますしね。
世の中の出来事をプロレス的に解釈する面白さをKAMINOGEで追求したい
イ:堀江さんにとって、ずばり、KAMINOGEとは?
堀江さん:紙プロの続き、という感覚が少なからずありますけど。それ以上にKAMINOGEは、「きびさんが作る面白い雑誌に僕も参加する」という意識が強い気がします。紙プロでは編集全般を担当していましたが、今は企画と執筆に専念していますしね。
イ:KAMINOGEを通して今後どんなことを発信したいですか?
堀江さん:プロレスそのものを発信するというよりも、「プロレス的なもの」を伝えたいです。リングには上がっていませんが、KAMINOGEに出てる人はみんな“プロレスラー”だと思っていますから。
イ:みんな…プロレスラー…?
堀江さん:はい。これは紙プロの時から一貫して持っている考えです。紙プロが90年代前半に掲げたキャッチフレーズが「世の中とプロレスする雑誌 」でした。それに対してKAMINOGEは「世の中とプロレスするひろば」。この言葉選びにもきびさんのセンスが光っているような気がします。KAMINOGEという広場を提供して、皆でプロレスしよう!っていうニュアンスが絶妙に表現できているなぁと思います。
イ:KAMINOGEは皆でプロレスをするひろばなんですか?
堀江さん:僕はそう捉えています。僕らは良くも悪くもなんでも物事をプロレス的に考えてしまうんですよね。その延長で、今は時事芸人のプチ鹿島さんとプロレスライターの大御所である斎藤文彦さんの対談で「プロレス社会学のススメ」という連載をやっています。
どういう企画かというと、様々な社会問題をプロレスを絡めて話ながら、プロレスの根源に迫っていくというものです。何を言ってるかわからないかもしれませんが(笑)。例えば、今回のアメリカ大統領選をプロレスに置き換えて語ったり、女性の社会進出を女子プロレスの歴史で語ったり、BLMの運動を黒人プロレスラーの歴史で語ったりとかですね。
この社会、政治なども含めてすべてが「真実」ではなく、プロレスと同じように虚と実があると思うんですよ。だから、プロレスファンは、プロレスに置き換えることで、あらゆる事象が理解しやすくなると思うんですよね。
プロレスには「アングル」というものがあります。なにかを仕掛ける際には、今後の展開や観客の反応などを想定した、様々な「狙い」のようなものが裏側にあるわけです。ただ、アングルはあくまで演出の方向性を決めるもので、脚本ではありません。そのため、思いがけない方向へ事態が展開することもあります。
例えば、1983年に長州力が藤波辰爾と仲間割れして、反体制側になったことがありましたけど、これは今思えばアングルなんです。でも、“
反体制側の旗手”というのは、あくまでキャラクターであったはずなのに、それが事実に変わっていき、長州力は軍団を引き連れて新日本プロレスを離脱、独立してしまったことがあるんです。
このように、「虚」だったものが「実」になっていくようなこともある。これがプロレスの面白さであると同時に、実際、プロレスだけでなく、世の中でそういうことってたくさんあると思うんですよ。
つまり、プロレス社会学のススメにおける「プロレス的に考える」作業というのは、社会問題もアングルとして捉えることで、物事を別の角度から考えるきっかけをになりうる。
物事を違った角度から見れば違う真実が見えてくる。KAMINOGEを通して、そういうものに気づくきっかけを読者に提供したいですね。
10年、20年後もプロレスを深く掘り下げていきたい
イ:KAMINOGEをどんな方に読んで欲しいと考えていらっしゃいますか?
堀江さん:先述の通り、僕は基本的に同世代を読者として考えています。僕らの世代は第二次ベビーブームで人口が一番多く、タイガーマスクの大ブームの時期とも被っています。そのプロレスに熱狂した層に刺さるものを作り続けると同時に、10年、20年後もプロレスを深く掘り下げていきたいですね。
イ:その同世代の読者の皆様に向けて、どんな企画を作りたいですか?
堀江さん:昔のスター選手などへのインタビューは限りある資源だと僕は思っています。だからいつか枯渇する。でも、「プロレスをどう考えるのか」「昔のプロレスはどういうメカニズムだったのか」など視点を変えればたくさん面白い企画はできますよね。
先ほども話したように、プロレスには虚と実があるからこそ、いろんな「謎」も多いんですよ。昔、『週刊ファイト』というプロレス専門紙の編集長だった井上義啓さんが「プロレスとは、底が丸見えの底なし沼」という名言を残しているんですけど、プロレスって本当にわからないことがまだまだたくさんあるんですよ。
なので、プロレスをどんどん深く掘り進めて、何十年もプロレスを観つづけているファンの人にも「プロレスはまだまだ奥が深いんだ!」ということを発信していきたいですね。
あとは、「豆柴の大群」さんが表紙になったとき、若者の読者が一気にKAMINOGEを手に取ってくださったそうなんです。若者の活字離れも叫ばれて久しいですが、もしかしたら彼らは「活字で興奮する感覚」を知らないだけかもしれない。
だから、若い子たちが夢中で読みたくなるような企画も少しずつ作っていきたいですね。
イ:最新刊(Vol.108)の見所を教えてください。
堀江さん:僕の担当したページだと、玉袋筋太郎さんがプロレスラーにインタビューする「変態座談会」という人気長寿企画があるんですけど、そこでは折原昌夫選手のトンパチすぎる半生を振り返ってもらっています。
あと「プロレス社会学のススメ」の今回のテーマは「ガチンコ」です。今でこそ「ガチ」という言葉は広く使われていますが、その言葉の意味が正しく使われているとは思えないんですよ。
なので今回は、力道山対木村政彦の60年前の伝説の試合を解説しながら「ガチンコ」や「プロレス」という言葉の意味を解き明かしていきます。
ぜひ、手にとって読んでいただきたい内容です。
プロレスに詳しくなくても面白おかしく読めるプロレス月刊誌、「KAMINOGE」。
雑誌ではなく書籍として販売されているため、広告がなく読みやすい。様々な視点から自由にプロレスの素晴らしさを伝えられる珍しい形態の書籍です。
今回もこれまで語られてこなかった編集部の裏側を少しお見せできたのではないかと思います。玄文社では今後も引き続きKAMINOGEを追いかけ続けます!KAMINOGEは定期購読が断然お得!
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